Twitter

2010/07/12

iPhone Twitter (ツイッター) アプリ 最新版機能総比較

- 原稿は随時更新中です m(. .)m -

巷にあふれるiPhone用 Twitter (ツイッター) アプリケーション,特に無料版と有料版が
あるものは,例え数百円だとしても買うのにちょっと躊躇しますよね。

そんな訳で,2010年7月段階で入手できる iPhone Twitter アプリでメジャーと思われる
ものを一通り購入してその機能を実際に試して比較してみました。

比較対象としては,公式アプリとなった,その名も"Twitter"を選び,有料版ではEchofon Pro,
Twitbird Pro,Hootsuite, Twitterator Pro, Osfooraを選択。合計6種類の比較を行いました。

テストした機種はiPhoneではなく,iPod touch 3G (iOS4 update済み)であり,それぞれの
環境により今回のテスト結果が当てはまらない場合もありますのでご注意下さい。

尚,本原稿は未だdraftであり,みなさんからの「それ違うよ!」のフィードバックがあれ
ば順次訂正していきたいと思いますので,Twitter ID @Cloud9_Tokyo までご連絡いただけ
れば幸いです。

個々の機能については追って少し原稿を補足しますが,現時点の私なりの結論としては

1.公式アプリ(無料)で十分
  (頑張る時はPCでTweetDeckやHootsuite使えばOK)

2.公式アプリに+自動リフレッシュ(読み込み)が欲しければOsfooraをどうぞ

3.Mention (@) やDMが届いた瞬間にどうしても知りたいリアルタイムな方はEchofon
かTwitbird Pro
【追記:Boxcarというアプリを使えば公式アプリ等でもmentionがほぼリアルタイムで
プッシュされるので,これを使うという手もあります。7/15現在,無料です】

4.どうしてもMute機能 (アンフォローする程ではないけれど,しばらくTLに表示させない
機能)に拘りたいのならTwitterator Proしかない
(でも,そういう時はPC版,携帯版のついっぷるを使うという手もある)

5.Hootsuite はPC版を使うべし。iPhone版は使い勝手が悪すぎます
【7月にversionが1.1.5にupしてやっとiOS4に対応しましたが,やはり使いづらいです・・】

6.Twitbird Proは見た目や絵文字や機能が一番魅力。だけれどすぐに要求オーバー表示
がでるので,非常に使いづらい。次のバージョンアップに期待。
【追記:アプリ立ち上げ時にリストまで自動ロードしない設定にすると要求オーバーに
なりにくいみたいです】

7.その他,お気に入りに登録されたかどうかみたい場合はSafariでふぁぼったーとか
Favstarを見れば良いので,Twitterアプリに機能があるかどうかはそんなに拘らなくても
いい?

ってなところです。

まずはこんなところで,また順次原稿改定していきます。
では,詳細機能比較は下記比較表でご覧下さい。

これイイ!という欄はピンク,結構いいねという欄は薄オレンジ,これちょっとヤダという
欄はグレイ,これ本当困るよ!って欄は黒にしてあります。

お付き合いいただきありがとうございます。

Function1

Function2

Function3

Function4

Function5

Function6

Function7

2010/06/05

「個人のトラブルから社会問題へ」 細田満和子

メールマガジンでとても興味深い記事がありましたので,転載,ご紹介いたします


「個人のトラブルから社会問題へ」

細田 満和子(ほそだ みわこ)

2010年6月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味?病いと障害の社会学』(青海社)。

「個人のトラブルから社会問題へ」

子どもの留守番は犯罪

 アメリカに来て、日本と習慣が違うのに戸惑うことがよくあります。こちらでは子どもの留守番は禁じられていますが、ふたりの子どもを持つ身としては、これは結構厄介なことでした。何歳までが子どもかという定義は州によって若干異なるようですが、マサチューセッツ州では12歳未満が子どもとみなされています。そして、子どもが保護者のいない状態で家にいること、すなわち留守番をしていることは、ネグレクト(世話の放棄)という虐待とみなされます。

 もし子どもが一人で留守番している時、誰かに通報されたら(市民には見つけたら通報する義務があります)、警察が家に乗り込んできて、子どもは保護され、親は捕まってしまいます。よって子どもを家に残して出かけるときには、必ずベビーシッターを頼まなくてはなりません。ちなみにベビーシッターの料金は、子どもひとり当たり1時間で10ドルくらいします。
 また、スーパーで買い物をしようと駐車場に車を止める時、子どもが車の中で寝ていると、日本だったらちょっとの間だから子どもを車の中に残したままで買い物に行ってしまいます。しかしアメリカでこんなことをしたら、やはり警察に通報され、子どもは保護され親は逮捕されてしまいます。実際に、そういう体験をした日本人駐在員夫婦の話は有名で、アメリカに来たとき、真っ先に日本人の知人から忠告されました。

パレンス・パトリエ

 これがどこから来ているのかというと、パレンス・パトリエという考え方(=「国親思想」)からだといいます。パレンス・パトリエというのは、国には弱者を保護する義務と権利があるという法概念です。その起源は封建時代のイングランドにあるといわれ、イギリスだけでなくアメリカやカナダなどいわゆる英米法の国々においては、深く根付いた概念だといいます。
 このパレンス・パトリエに則って、アメリカにおいては、州に生命を保護する強い権利と義務があるという考えがあります。ですから、例えば親が子どもに適切な世話をしなかったり(ネグレクト)、暴力を振るったりすると、それは虐待だとして、州がパレンス?パトリエを行使します。そして裁判所は、弱者保護の立場から子を親から引き離し、親を更正・処罰するという裁定を下すのです。つまり、子どもは親に属しているわけではなくて、「社会の子」である、とみなしているといえます。
 このパレンス・パトリエの考え方は、何も子どもだけを対象にしている訳ではありません。成人であったとしても、たとえば家庭内暴力の被害者など、弱者とみなされる場合は保護の対象になります。この考え方が実際に如実に現れている事例として、ここでは新生児医療における親の治療拒否と家庭内暴力(Domestic Violence : DV)を見てみましょう。

親による治療拒否

 インディアナ州のブルーミントンで1982年4月9日に生まれたベビー・ドゥは、ダウン症で食道閉鎖と気管食道瘻を合併していました。この子をめぐって、積極的治療(手術)をするか、それとも治療を停止するか、医学、法律、倫理が総動員された広範な議論がおきました。
 まず病院において、この子に積極的治療(手術)をすべきか否かということについて、小児科医の間で意見が分かれました。両親はこの子への治療の停止を求めていました。また病院管理者と小児科医の間でも意見が分かれたので、病院管理者は裁判所に助言を求めました。その結果、裁判所の判事は、両親の治療を差し止める権利を認めたので、両親の希望通りにベビー・ドゥに対する積極的治療はされないことになりました。
 しかし、ベビー・ドゥに治療をすべきと考えていたある検事は、この裁決に反対し、この件にさらに介入して、連邦政府を巻き込もうとしてワシントンに向かいました。ところがこの介入は間に合わず、ベビー・ドゥは死亡してしまいました。誕生から6日後のことでした。

 当時の大統領ロナルド・レーガンはこの事件を重く見て、司法省と厚生省にすべての障害を持つ新生児の治療を義務づけました(Weir 1984:163-165, Pence 2000:301-305)。これは「ベビー・ドゥ規則」と呼ばれました。手術に承諾することを拒否した親たちの何人かは裁判所から親権を剥奪され、子の監督権は州に譲られることになりました。ただ後日談として、この州による医療への介入は行き過ぎの面があったので、アメリカ小児科学会とマスコミが反対して「ベビー・ドゥ規則」は廃止されています。

 いずれにしても、親であっても、子にとっての最大の利益の代弁者とは自動的には考えず、場合によっては州が親から子を引き離して、子を保護するというやり方は、パレンス・パトリエの好例でしょう。こうして、子どもは「社会の子」という印象が深く植え付けられました。

DV(家庭内暴力)

 次に、DVについて見てみましょう。日本は、DV加害者に寛容な国だとよく言われます。例えば1999年にカナダのバンクーバーで、日本国総領事が公邸で妻を殴って逮捕されるという事件がありました。この際、総領事は「日本では古来から自分の妻を殴ってもいいものなのだ。これは文化の違いだ」と主張したといいます。この発言はこの総領事の個人的発言だとしても、そのように考える日本人もきっと少なくないのでしょう。日本では、2001年にDV防止法が施行され、少しは状況は変化してきたといいますが、妻は夫に属するもので、夫婦間に暴力があっても、一般的に家庭内の揉め事として受け止められているようです。

 ところがアメリカにおいてDV被害者(主に女性)は、州によって弱者として保護されることになります。家庭内で夫から妻への殴打などの暴力がある場合、警察に通報が行くと、すぐに警官が家に乗り込んできます。加害者がしぶってドアをなかなか開けないと、壊してまで入ってくるそうです。そして被害者は即座に病院に運ばれるなどして保護され、加害者はその場で逮捕されます。
 警官がこのように迅速な行動を取る背景には、州によるDV法ガイドラインの存在があります。手元にあるマサチューセッツ州のガイドラインは31ページに及んで、現場での初期介入の仕方、逮捕の決定、銃器使用の際の対応など、通報を受けてからの被害者救済の手順について事細かくマニュアル化されています。
 やがてDV加害者の裁判が始まります。この裁判もまた、州の虐待防止のための法的措置に関するガイドラインに沿って行われます。ガイドラインによると裁判の目的は、被害者を保護するための裁判所命令を出すこと、とあります。

 いったんケースが裁判にかけられると、たとえ被害者であってもそれを中止することはできません。なぜかというと、DVは夫が妻に対して犯した罪としてではなく、州に保護の義務と権利のある弱者に対して加えられた暴力だから、州に対する犯罪とみなされるからです。DVがあったとはいえ夫婦の間には愛情もあるし、長い裁判に疲れて妻の側が裁判を終わりにしてほしいと思う時もあるといいます。しかし、そのような場合であっても、裁判は地区弁護士によって粛々と進められるということです。州によるDV被害者保護は、まさしくパレンス・パトリエの思想によるものです。

個人モデルから社会モデルへ

 このようなパランス・パトリエは、個人モデルから社会モデルへという社会学的見方とも親和性があると考えられます。社会学では、個人のトラブル(personal trouble)を社会問題(social issues )として捉えようとします。例えば、さまざまな社会問題、ホームレスとか犯罪、自殺などに対して、その人が悪いと弾劾するのではなく、そうさせてしまう社会が問題だと考えるのです。前者の捉え方が個人モデル、後者が社会モデルです。
 たとえば、「ホームレス」を個人モデルで捉えると、怠惰や精神障害の結果であるとみなされます。そして「ホームレス」の解決策は、働くという動機付けを本人にすることや、学校に行かせたり仕事につかせることなどが挙げられます。しかし「社会モデル」で「ホームレス」を捉えると、雇用されていないという状況自体、セーフティ?ネットや社会的支援の不足が問題と考えられます。そして解決策は、雇用機会を創出し、セーフティネットを整備し、地域社会の協力体制を作り上げる、などとなります。

 ちなみにこの個人モデルと社会モデルを戦略的に使っているのが障害学です。障害学はこの個人モデルから社会モデルへという転換を主張してきていて、障害を治療の対象とする個人モデル(医学モデルともいう)を徹底的に批判してきました。そして、障害を持っていても暮らしやすい社会を作るために、建物の障壁、就学や就職のときの差別を撤廃するバリアフリーの世の中を社会モデルとして主張しました。そして実際に、障害のあるアメリカ人法(ADA)を成立させ、社会モデルの実現を着々と成し遂げてきています。

日本への導入の可能性

 それでは、このようなパレンス・パトリエのような発想や社会モデルは、日本にはあるのでしょうか。ないとしたら導入すべきでしょうか。その可能性はあるのでしょうか。ここでこれらの問いにすぐに答えることはできませんが、とりあえずの回答として、日本には一部を除いてあまり根付いていないと考えられ、導入の可能性を考えてみる価値がある、といえると思います。
 家族論やジェンダー論によれば、日本では、子どもは親に属していて、妻は夫に属しているという考え方がかなり強くあります。そして、家族の問題は家族で解決すべきという規範が強いように思われます。また、家族あるいは世帯が単位となって、子どもの世話、老親の世話、借金への対応を行うことが、法的にも社会的にも期待されて、実際に行われてきました。しかし子どもの面倒は親がみるべき、老親の世話は子どもがすべき、夫婦間の暴力は夫婦で解消すべきという規範の中では、家族という狭い共同体の中に問題が囲い込まれてしまいます。すなわち、日本では、誰かがトラブルを抱えていたとしても、それがトラブルとして見える形になってさえいないのです。
 そこでまず必要なのは、個人を家族という共同体の中から自立した存在とみなすことでしょう。誰々の妻、誰々の子、誰々の親ではなくて、一人の人間としてあるということを、本人も周囲の人も承認することが大事だと思います。そしてその上で、個人を保護する公というものを醸成してゆく必要があるのではないかと思います。その際に、パレンス・パトリエや社会モデルのような考え方が参考になるのだと思います。ちなみに、アメリカは個人主義で自己責任の国であるはずなのに、どうして警察や裁判所といった公の役割がこんなに大きいのだろうか、という疑問を解く鍵もここにあります。子どもであろうが妻であろうが、親や夫の所有物ではなくて個人であり(個人主義)、その個人が弱い場合に限って公が守るという思想なのです。
 ただし、個人の自立を声高に叫ぶあまり、家族という共同体を闇雲に解体してしまうようなことには、十分注意するべきだと思います。家族の権利と責任は否定されるわけではありませんし、家族の解体がむしろ社会的病理を生んでしまうことも考えられます。ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の議論を待つまでもなく、人と人とのつながりは重要ですし、家族がその重要な単位であることは間違いないでしょう。社会関係が薄れて個人主義化したアメリカ社会に対する批判書は数え切れないくらいあります。
 また、パレンス・パトリエにおける弱い個人を公が守るという発想自体も、十分に注意して用いる必要があるでしょう。先ほど書いたように、パレンス・パトリエの思想は日本にも一部は導入されています。例えば精神保健福祉法二十九条の二では、自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると2名以上の指定医が認めたときは、本人の同意を必要としない緊急措置入院が都道府県知事の名の下に採られます。しかし、このことに対する疑問の声が当事者を中心に上がっていますし、個人に対する公の介入は十分に議論されなくてはならない難しい問題です。
 日本にとっては、個人の自立を促しつつ共同体を守るということが最適値を導き出すと思われますが、それははたしてどんな風にしたら可能なのか。今後も考えていきたいと思います。

謝辞:マサチューセッツ州のDV対策制度についてご教示くださった佐藤美保氏、本稿のテーマを考える上で多くの示唆を与えてくれたボストン女性の会の皆様に、心より感謝を申し上げます。

<参考文献>
・Guidelines for Judicial Practice, Chapter 209A Abuse prevention proceedings(マサチューセッツのDV法)
http://www.mass.gov/courts/formsandguidelines/domestic/dvtoc.html
・The Commonwealth of Massachusetts, Executive Office of Public and Security, 2009, Domestic Violence Law Enforcement Guideline (警察のガイドライン)
http://www.mass.gov/Eeops/docs/programs/fjj/vawa/DV_Guidelines_2009.pdf
・Brigham and Woman’s hospital Domestic Violence: A guide to screening and Intervention(病院のガイドライン)
http://www.brighamandwomens.org/communityprograms/PassagewayScreening.pdf
・Pence, G., 2000, Classic Cases in Medical Ethics: Accounts of Cases that Have Shaped Medical Ethics, with Philosophical, Legal, and Historical Background, The McGraw Companies.
・Weir, R. (1984) Selective Nontreatment of Handicapped Newborns: Moral Dilemma in Neonatal Medicine, Oxford University Press.
・イダヒロユキ、2008、ジェンダーと貧困?DVを中心として、宇都宮・湯浅編、反貧困の学校、明石書店、128?147。

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皆様からのご寄附をお待ちしております!!出産の際に不幸にしてお亡くなりになった方のご家族を支援する募金活動を行っています。お二人目のご遺族に募金をお渡しすることができました。引き続き活動してまいります。
周産期医療の崩壊をくい止める会より http://perinate.umin.jp/
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配信・解除依頼は info@medg.jp までメールをお送りください。手続きに数日要することがありますので、ご了承ください。
今回の記事は転送歓迎します。その際にはMRICの記事である旨ご紹介いただけましたら幸いです。
MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
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2010/05/07

デメギニス

TVでよく驚愕映像とかやってますね

中でも奇妙な生物・・・心惹かれるものがあります♪

深海生物は奇妙な生きものの宝庫ですが,

「デメニギス」はとりわけビックリな生きもの

あたまが透明で中が見えてるんです


なんだか,しょぼーんとした感じの目にみえる前部の黒いのは実は鼻だそうで

目は透明な頭部にある黄色っぽい部分だそうです

WIKIによると,生きた姿が発見されたのは2004年になってからのこと

 

詳しい研究はMonterey Bay Acquarium Research Institute: MBARIのページで公開されています

そういえば,むかしSan Joseに住んでいる友達のところに寄った時にモンタレー水族館行きました・・・・でも閉館時間が過ぎていて入れなかったっけ・・・

でも海の上にいるラッコとかは普通に見られました
途中の海岸にはなぜかリスが住んでいて,カモメとリスが海岸で戯れているという不思議な光景や野生のバンビも見かけました

アメリカの西海岸のこのあたりはドライブにも最高ですね

話題のエンタテイメント作品2題

Bloggerをはじめても,最近はtwitterばかりでまともな記事を書くこともせず,月日だけが流れてしまいました。

材料だけは少しずつたまってはいるのですが....

そんな訳で,ここ数カ月で特に印象的だったエンタテイメント作品を2つほどメモ代わりに貼っておきます。

1つ目は昨年(第13回)の文化庁メディア芸術祭のエンターテイメント部門を受賞した,
日々の音色(ナカムラマギコ / 中村将良 / 川村真司 / Hal KIRKLAND)



YouTubeでも既に250,000 view以上を記録しているので,みなさんもどこかで見たかな?
このMVを手掛けたのは川村真司 (Masashi Kawamura)さん

経歴には「慶應義塾大学佐藤雅彦研究室で学んだのち博報堂でCMプランナーとして活動。その後,BBH Tokyoの立ち上げに参画し,オランダはアムステルダムのクリエイティブ・エージェンシー180に移籍。現在はニューヨークのBBHを拠点に,SOURのMVをはじめ個人としての制作も精力的に展開している」
と書かれています。このMusic Videoの素晴らしさだけではなく,これがどういう経緯で出来たのかすごく気になりますよね。川村真司さんのインタビューは以下のページで参照できます。

川村真司さんインタビュー

次の作品は「PIXELS」という作品
Written, directed by : Patrick Jean
Director of Photograhy : Matias Boucard
SFX by Patrick Jean and Onemoreprod



これもどんな経緯で作成されたのか気になりますね。製作者のPatrick Jean氏のインタビュー記事があったので,一部抜粋して日本語訳してみました。


・この作品を作ろうと思った思いつきはなんだったのですか?

若い頃にこれらのゲームをして遊んでたからね。そして,2つの異なる宇宙をミックスしてみようと思った訳,ピクセルアートと実世界。
異なる法や力学の2つの世界。そこからどんなものが生まれてくるのか見てみたいという興味があった。一方がもう一方を食べちゃう?みたいな。
それとロジャー・ラビットやゴースト・バスターなどの80年代のブロックバスター映画からもインスピレーションを受けています。
こういう魅力的な選択はノスタルジックな感情を喚起するのに大いに貢献しているし,レトロゲームのテーマにもいい具合にフィットしているだろ。

・これは自分のために自身で始めたプロジェクトなのですか?どうして作品とすることにしたのですか?

これは本当に個人的なプロジェクトなんだ。だけど,フランスのVFXスタジオのOneMoreProdから多大な協力を得たんだ。
本当に本当の事を言うと,最初はmusic videoにするつもりだったんだ。だけどあまりにも多大なCGワークのために締め切りに間に合うかどうか確信が持てなくなった。
それで,僕らはショートムービーにすることを選んだんだ。

このインタビューの後半ではNew Yorkに行って2日間で撮影したことなどが語られています。

インタビュー原文は以下のページからどうぞ。

Patrick Jean インタビュー

いや,本当面白いこと考える人はいるもんで...
誰でもアイデア次第で面白いもの作れるはずなんだけれど,やっぱり,思いつきを形にする力ってものが必要なんだと改めて思わされる作品達ですね。

2010/03/17

バリオス作品集

なんだったか思い出せないのだけれど,以前観た日本の映画かTVドラマのエンディングで使われていたギターの調べ・・・とても美しく切ない旋律

物思いに耽った一人の夜☆ゆっくりと気持ちを落ち着けて耳を傾けるときっといいことがあるよ

「アグスティン・バリオスは,ギターのショパンだ・・・・彼ほどギターという楽器と一体化し,しかも多彩な音楽を生み出し得た作曲家はほかにいない。バリオスは彼の時代の最良のギタリスト=作曲家だ。ひょっとしたらあらゆる時代を通して最良の存在と位置づけられていいかもしれない/ジョン・ウィリアムス」


バリオス作品集・・・・きっとあなたを癒し,はげましてくれるはず


大聖堂 played by John Williams


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Kew. Rhone.

私はジャズ,クラッシック,ロック,ポップなんでもありですが,

音楽に入り浸っていた学生時代,一番大切にしていたアルバムの1つがこの

「Kew. Rhone. (John Greaves, Peter Blegvad, Lisa Herman)」

もちろんLPもマルチメディア版CDも持っています

なにせPeterといえばPeter Gabriel, Peter Hammill, Peter Blegvad
DavidといえばDaevid Allen, David Byrneです
このあたりが私の本当のコアな部分です

では,いつものようにYouTubeリンクよりKew. Rhone.をどうぞ


Kew. Rhone.

JAZZ / FUSION の巨匠

とりあえずカバンに入れておいて後で整理しよう・・・・

と,たまったカバンが3つも4つも・・・・

超整理術風に考えれば2年も3年もこのカバンを開けなければ,そのまま捨ててしまうのが正しい対処なのかとも思うのですが・・・・とりあえず中身を整理し始めることに

そんな時に数枚の紙切れがでてきました・・・・誰かのサインですね
誰のサインだか分かりますか?有名な外国人ジャズミュージシャンです

Lenny White

ちょっと分かりにくいでしょうか?
では,同じバンドメンバーのこの人のサインは分かりますか?

Al Dimeora

好きな人はもう分かりましたね

1枚目はドラマーのレニー・ホワイト,2枚目はギタリストのアル・ディメオラです

サインの下に書かれたメモによると,1983年4月にReturn to Forever として来日したときに出待ちをしてもらったサインです

残念ながらその時にもらったチック・コリアのサインはまだどこかのカバンの中らしく出てきません(-_-;)

もうすっかり昔のバンドだと思っていたら,HMVに行くと,昨年再結成して行ったライブツアーのCDとかが出ていてビックリ!

Return to Foreverは大好きで,アルバムは全部持っていました

Romantic Warriorとか今聴いてもいいですねぇ




YouTube: Romantic Warrior by Return to Forever

Return to Forever お勧めCDです↓


リターンズ~リユニオン・ライブ


浪漫の騎士


JAZZ THE BEST CROSSOVER COLLECTION 15::銀河の輝映


ノ-・ミステリ-


さて,またサインに戻ります

このサインは誰のものか分かりますか?ドラマーですよ
ピーター・アースキン

これもちょっと分かりにくいですかね

では,これは?
同じバンドのリーダー(キーボード)です

ジョー・ザビヌル

Zで始まっているので,もう分かりましたね

1枚目はピーター・アースキン,2枚目はジョー・ザヴィヌルです
メモによると1981年6月にWeather Report として来日したときに,やはり出待ちしてもらったサインでした
この時はジャコ・パストリアスもいたのですが,どうも彼はフラフラしてあっち行ったりこっち行ったり・・・私の友達のベーシストは追いかけて行ってサインもらったみたいですけれど
そういえば,皇居のお堀に飛び込んだり,このころも奇行が目立ちましたっけ・・・・
亡くなってしまったのは本当に残念ですが,生きているうちにあえて良かった

 

私のfavorite song, 「Young & Fine」です↓

Young & Fine by Weather Report

Return to Forever も Weather Report もJAZZ / FUSION の世界では超巨星とも言える存在
そんな彼らに生で会えたのは本当にラッキーでした

お勧めCDです↓

Mr. ゴーン



ヘヴィー・ウェザー


ブラック・マーケット


ナイト・パッセージ

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